森守のブログ

放送と社会問題について

「平成」を勝手に悪く言うんじゃねえよ

オウム真理教事件が急に「主要な幹部死刑執行」で終劇したことで、にわかに「平成が終わった」とされているらしい。

事実、平成は31年で終わりであり、巷じゃ「平成本」が色々置かれているので、色んな人が「平成」を語りたいのは分からなくはない。ただ、私はたまたま「平成生まれ」になってしまったのもあって、外野から「平成」を言われてそのまま定着するのに納得がいかない。特に「平成は経済も低水準で、色々事件が起きた時代」と総括されるのだけは断固阻止したい。

この記事を記す直接のきっかけとなったのは、私が購読している以下のブログである。

shionandshieun.hatenablog.com

ただこの人、嘘つきでなければ平成3年生まれらしい。たまたまであるがほぼ同時期に生きている人間である。なのに「平成は暗かった」と言いたげな内容である。100歩譲って昭和の人間が平成を悪く言うのはまだ分かる。先に生きてた人間ほど自身の時を基準にして、後の時代を「下り坂」とするからである。

でもそんな「昭和人間」のテンプレートをなぜ平成生まれの奴が真似るのだ?曲がりなりにも自分が生きた時代だぞ。以下、この怒りを元にして書く。

オウム真理教」は昭和の遺産です。

まず、勝手に「平成」扱いされているオウム真理教についてである。確かに、オウム真理教による地下鉄サリン事件というのは、平成7年3月20日に発生した。また松本サリン事件は平成6年6月27日である。平成も始まってしばらく経った頃であり、平成に起きた事件としては確かに見過ごせないくらい大きな事件であった。

ただ、常識的に考えて当時リアルタイムで見ていた「大人」なら知ってるはずだが、誕生自体は1987年で、少なくとも選挙出馬でにわかに知られる事となったのは、平成2年(1990年)である*1。確かに平成であるが、被選挙権も選挙権も昭和生まれの人間しか行使出来ないだろう。当時20歳だったとして、その大人は昭和45年(1970年)生まれである。ちなみに麻原彰晃こと松本智津夫は昭和30年(1955年)なので、昭和前期から中期にかけての人間である。そして選挙出馬のタイミングは正確には「昭和後半」と称するのが認識として正しいと思う。「歴史実証主義者」ならば年号にこだわるだろうから、1年でも誤差を許さないのかもしれないが、人文的に評するなら私は「昭和後半説」を推したいし、その方が歴史を連続的に捉えられると思う*2

また同じ理由でとんねるずの「生でダラダラ」の番組自体やそれに出演していたというのも、昭和後期だろう。より正確に捉えるならば「バブル経済期」の方が分かりやすいと思う。ただこの「バブル」というのも、慎重に扱わなければならないのは、バブルは「バブル崩壊」で終わったわけではない事である。これは経済学者が捉える「バブル経済」と私が生活感として捉える「バブル的」なことのズレを覚えている事からである。以下その中身を説明する。

まず、バブル経済の始まりは最も広義の「1986年説」を取る。多くの歴史教科書でも「プラザ合意」は知られているし、日本経済自体が堅調だったこととしてはプラザ合意と連続的に捉える方が良いと思うからである*3。但し、終わりは「1991年説」は取らない。なぜなら、TV番組や音楽シーン、社会の空気というものは、学問的な定義とは必ずしも一致しないからである*4

私が思う「バブルの終わり」ないしはバブル的な「なんとなく日本はいい」という感覚は、1990年代を通してあったと思うし、経済的な終わりも1991年よりもしばらく後の「1997年」だと思う。これは、1997年のアジア通貨危機と消費税増税による日本経済悪化により重きを置く見解だが、「バブル崩壊」の単純な意味である株価や土地価格下落と日本全体の景気が必ずしも連動しないことは、生命保険会社の破綻(日産生命保険)が初めて起き、北海道拓殖銀行の営業権譲渡や山一證券の廃業もこの年である事から正当化出来ると思う。

そしてこの「バブル的」なものの途中に起きたのが、阪神・淡路大震災地下鉄サリン事件である。確かに記憶の節約として「この2つの最悪の出来事」が起きたのと経済的なマイナスを一緒にするのは、一つの知恵であるが、もし単純に「バブル崩壊オウム事件は同時期だった」とか言われると、「それは偽史だろ」と言いたい。

もう一度説明すると、オウム真理教の成長期は87年-90年であり、バブル経済と重なる時期である*5。つまり、地下鉄サリン事件発生とタイムラグが5年以上ある。簡単に整理すると「バブル経済拡大→オウム真理教成長→(学問的な意味の)バブルの終わり→地下鉄サリン事件→(社会的な)バブルの終わり」という時系列である。*6

ちなみに社会学的な分析によれば、オウム真理教信者は「バブルの空気に嫌気が差して」入信した人が多かったらしい*7。勿論これは客観的な時系列にも合致する。つまり「ハルマゲドン待望論」は、実際に日本全体が暗くなる前から急激に広まっていたのである。この正確な理解がないと、単純な「平成は暗い時代、その1つとしてオウム事件が起きた」という錯覚を昭和の人間が作り、それを皆で消費するという嫌なことが起きる。

「小泉現象は平成的」か?

また、金村詩恩さんは「小泉現象」も平成的とするようである。これ自体は直接は否定できないし、「平成」をどうするかによって変わってくると思うので、より一般的な立場から「平成」を相対化する手法を取る。なので、ここからは「平成」を悪く言われるのがただただ嫌なだけの私の独断と偏見である。

まず、小泉現象自体は何ら平成特有ではない。昭和前期には近衛文麿が国民的人気を博したという*8。つまり、ポピュリズム的な政治というのは、民主主義であればどこでもどの時代でも誕生しうる。似たことは、戦後なら田中角栄がそうだろうし、政治路線ならば中曽根康弘が近くにいる。そして「政治主導や政治の刷新」といったことは、同じ平成に生きた細川護煕にも言える。

また小泉的とされているもののうちの一つに、派遣法改正など新自由主義化が進んだというのがある。ちなみに現在の安倍政権も似たような切り口から批判され、第一次安倍政権も同じ手法が取られているとする指摘があるが、単純に「小泉・安倍」とくくるのも難しいと思う。企業や役所の「ダウンサイジング」というのは、中曽根行革路線の頃には既にあり、また中曽根の行革を支えたブレーンには大平正芳の「大平研究会」のメンバーだったものが少なくない。仮に、小泉・安倍を単純に並べるなら、遡って橋本や中曽根を参照しないのは不自然だし、途中にある非自民である細川護煕も「政治にクリーンさ」という点で無視できない。仮にこれらの系譜を無関連とすると、数年ごとに異なった好みを持つ有権者という変な理解になる。私は「庶民は単純に負担がなくて、政治にお金のかからないところを選ぶ」と思っているので、中曽根ー細川ー橋本ー小泉ー民主党政権ー安倍を通して有権者の欲望は大きくは変わらなかったと仮定している。

無論、経済史や政治史を細かく見れば、確実に有権者の質の変化や経済状況で異なるパラメータを分析しなければいけないと思うが、昨今「新自由主義的」で雑にくくられて「とりあえず安倍とその親分だった小泉が悪い」とかいう分析がネット上に多いと感じているので、こういう事を注意書きとしておく。ここまで雑な分析はそう皆信じていないと思うが念の為。少なくとも「平成で起きた事は、必ずしも平成だけでは分からない」という事を言いたい。

もし「平成史を語りたいなら」 極私的平成史(アニメ漫画について)

また平成を文化的に捉えたいなら、1990年代よりも「平成独自」のものが育つ時間的余裕がある2000年代や2010年代だろが!と言いたいし、1990年代は1980年代と連続的に理解したほうがいいと思う。そして私が、「平成を生きた」とリアルに感じるのは2000年代からである。どの部分を平成とするかは大きく分かれると思うが、「平成3年」に生まれておいて、90年代と00年代の「オウムと小泉」を選ぶのは、その人が当時から政治かぶれだったか後から意図して選んだ記憶の世界だろう。真面目に「平成はこうだった」と言うつもりなら、これから殴り倒すための説明をする*9。ただ私の「平成」はアニメや漫画中心である。けれどそれは実際に当時子供だったから許されるはずである。主観的に子供時代を振り返って「当時の政治史を生きてたなあ」とか言うやつは私は「そんな子供いねえだろ」と敬して遠ざける。そして、私の感じる平成の方が当時子供だった平成生まれにとってはリアルだと思いたいし、後世からそっちの平成を知ってもらいたいと強く願う。

まず「平成は暗い時代じゃなかった」と力説するために、平成アニメとして「新世紀エヴァンゲリオン」がよく挙がる事について一つ断っておく。確かに1995年に放映され、2000年代に再び注目されたという意味で、平成を貫いているアニメなのだが、「オウム事件と重なるよねえ」とか文化系オタクが言うのを聞くたびに「いや、それを意図して作ったわけでもないし、そのレッテル貼ったの昭和の人間だし、作ったのも昭和の人間ですよ」と言いたい。それに安直過ぎて世代論として使えるのか私は今も疑問に思っている。無論この分析を真っ向から跳ね返すのは難しいのだが、その分析に立つとしても、先に説明したように、“昭和の遺産”としてのバブル的なパリピから逸れたものとして理解する方が正しく思うし、そういう理解をしてこそ「オウム事件」のメタファーとして共有できると思うからである。そして当時シンジくんと同じ年齢だとしてその人の生まれは昭和だろうし、リアルタイムにエヴァンゲリオンで何かを語っていたのは更に10歳上だろう。

また、こういった「アニメで社会学」というのは、少し前の宮崎勤事件からであり*10エヴァンゲリオンはたまたまその続きとして使いやすかっただけである*11。それで東浩紀なりが模倣して定着し、その後「オタク評論家」が「平成」世代のオタク自身から出てくるのは00年代からだと思うが、いわゆる「平成生まれ」全体がその「オタク」としての責任を負うことも無いと思うのである。何より「純粋にアニメを楽しんでいた子供時代」をあまりに捨象している。アニメオタクじゃなくても子供時代をアニメで過ごした人はいるはずである*12

そして、純粋に楽しんでいたアニメならば、レッツアンドゴーやベイブレードポケットモンスター遊戯王デュエルモンスターズ、ワンピース、NARUTOであり、漫画ならば同じく遊戯王、ワンピース、NARUTO、そしていちご100%だろうと思う。エヴァンゲリオンも2回目のブームの時は私も味わったが、それこそ自我が成熟し始めた中学生から高校生にかけてだったと思う。もし幼稚園や小学生の時にエヴァンゲリオンにハマり、精神世界に憧れた人がいたとしたら「あなたは仏陀?」と尋ねたい*13

私も「アニメで社会学」というのは、哲学かぶれになったあとは楽しめるジャンルであるが、その中でも「震災や事件と共に論じたもの」があまりにも“評論”として消費されるのを見て、それがベタに消費されると誠に嫌な感じしか残らない。似たことは、まどか☆マギカでも起きたが、これもたまたま震災と同時期になり、思春期の自我を表象するのにちょうどいいものだっただけであり、同時期に別の年齢を生きている人間全てをごっちゃにして「10年代は」というのも、程度問題だなあと思う。

なので、未だに「オウム事件エヴァンゲリオンを結びつける」人がいたら、あの当時の“旬”のようなものであり、またオウム事件を、仮にその引き受けると言っている人が平成世代だったとしても、余程慎重にしなければ火傷する代物であると強調したい。そうじゃなくても一時期の「少年犯罪の恐ろしさ」という虚構にかこつけた、平成世代という若者への目線は今思えばひどいものばかりだったので*14

私が「平成語り」に納得がいかない理由

最後に私が勝手にムカついている「平成問題」、つまり平成生まれを勝手に巻き込んでああだこうだと論じる問題は、多分社会の中に原因があるのではなくて、単純に「平成が短すぎた」事の方に原因があると思う。裏返しに言うと「昭和が長すぎた」のである。

昭和というのはちょうどいい長さである。64年間というのは、多少ずれるにせよ一人の人生と合っている。昭和生まれが昭和全てを語れる余地があるし、大多数の昭和生まれの人間はまだ生きている。これが「昭和」の強みである*15。無論、昭和63年とかぎりぎり昭和生まれはこっそりと「平成」として生きているかもしれないし、それでなくても主観的に昭和後期は平成と連続的に生きていると思うが、それはむしろ自然なことだろう。そこは先程「バブル的」なものについて述べた時に軽く触れたが、「必ずしも具体的な年号や年数とは一致しないもの」だという世代論自体が原理的に抱える限界だろうから。

そして、「平成が短すぎた」というのは、31年という人生半分ないしは1/3の時間だからである。たった31年のうち20年は子供か大学生まででしかなく、社会人になって10年も経ないまま「平成」を負わされる人間。これのどこに理不尽さが無いというのだ?私も昭和生まれが「しでかした」ことについて一家言無いわけではないが、余程慎重にしなければ昭和生まれの人にとって失礼だと思っている。なのに昭和生まれの方はやれ「エヴァンゲリオンガー」だの「オウム事件ガー」だの「小泉現象ガー」だの言いたい放題で、負のレッテルを覆いかぶせてくるのである。まあ自身が昭和生まれで、知識人ならそういうマウンティングを取り放題だろうというのは予想がつく。当の平成生まれはひよっこで、話せるだけの立場にいなかったからである。でもそれを「平成3年生まれ」の人がしたらおしまいだ、と落胆せずにはいられなかった。私も大学で教養として「平成史」を学んだつもりだが、それは「昭和生まれが作った」ものですよと言いたい。

そしてこの「平成生まれが平成を作り上げる前に、平成が終わってしまった」ことに一番フラストレーションを私は感じている。昭和のように十分時間的余裕があれば、平成世代の責任だの平成的な事だのに対して議論できると思うが、平成前半はほぼ全て昭和の遺産の中での延長線であり、後半も十分自立できるほどの余裕はなかった。無論「平成史」なるものをまとめてもいいが、「平成を語る際の問題点」や昭和史との違いを、深く自覚して欲しい。ただ辛うじてきゃりーぱみゅぱみゅや米津玄師、能年玲奈などが「平成生まれとして、平成を表象する」ことをやってのけたので希望が全く無いわけではない。アニメや漫画は残念ながら「昭和のお下がり」が多いかもしれないが、これも多少は平成に入れていいだろう。というかそれくらいはさせてください。

単純な話 「平成を『勝手に』悪く言うな」

以上、長くなったが、これが私の「平成を『勝手』に悪く言うんじゃねえよ」である。無論平成の世にあっても「辛く厳しい家庭」に育った方やスポーツ等別の世界で「こういう平成を生きた」方たちを否定はしない。ただ、私は「平成をそれなりに楽しく生きてたところまで否定しないで」と言いたい。

まさか平成生まれからネガティブな平成を差し出されるとは思わなかったが、ある意味平成生まれ自身が喋らないのも悪いと思い、今回書いた。件の方に悪気は無かったかもしれないが、ここに一つの「平成史」を残しておく。何事もであるが、当事者がまだ大勢いる間は、結論は慎重にして欲しい。

追記

2018年7月9日

金村詩恩さんからこっぴどく叱られたので、より安全な記述のために当該箇所を打ち消し。あくまでもこの記事は「平成をどう語るか」その前提条件について、「オウム事件」と「小泉政権」についての私の理解をダラダラ書いたものです。

 

*1:なるべく「当時の」見方が大事だと思うので、投票日当日の選挙報道を出来れば見ていただきたい。

*2:元ネタは「長い19世紀」と「短い20世紀」という歴史学の概念。歴史区分として、19世紀や20世紀を実際の100年間とずらして考える事で、資本主義の勃興や帝国主義戦争、世界システムなどを統一的に理解できるとして提唱されている。以下、私の「歴史分析」もこれのパロディ元として使いながら行う。

*3:より社会学的に捉えるならば大澤真幸が提唱した「虚構の時代」も悪くはないと思うが、別にここで「高度消費社会」を論じるわけでもないし、ややこしくなるので使わない。

*4:音楽ではいわゆるavex系の安室奈美恵やglobeがオリコンを席巻しており、その空気は80年代後半からのクラブミュージックと無縁ではないだろう。

*5:ちなみに87年は「急増するジャパゆきさん」に対してフィリピンとの間で対策が持たれた年である。どれだけ日本人が金余りを起こしていたか分かると思う。

*6:私も「平成初期」については記憶がないので、代わりに佐々木俊尚さんを引用。ていうか、このツイート先にすら“オウム事件バブル崩壊のせい”という偽史を観ている奴がいてヤバイ。「1995年当時バブルは崩壊してましたが、この前年にはジュリアナブームもあり、空気感としてはバブルは続いてたんですよ。終わった感になったのは1997年の金融危機あたりから。オウムの時代は宮台さんの言った「終わりなき日常」です。」。

*7:この分野で最も理論的に解説したものとしては、『オウム真理教の精神史―ロマン主義全体主義原理主義』(大田俊寛)。

*8:近衛文麿五摂家の一つ近衛家の出身の貴族で、貴族院議員として活躍し、貴族院議長となった。開明的で若い貴族として国民的な人気も高く、政党政治の行き詰まった後の日本の天皇制を支える政治家として期待されていた。「世界史の窓」より。

*9:ただ彼も「サッカー少年」だったらしいので、リアルに感じている平成は中田英寿とかのが近いのではと邪推している。

*10:但し、中森明夫が活動を始めたのが1982年だというので「文学評論としてのオタク的なものの分析」というのは、それ自体独立してあっただろうことは付け加えておく。いわゆる社会現象としてのアニメ分析は宮崎勤事件以降だと思っているというだけなので、間違っていたら私の責任です。

*11:よりベタに反論するなら「趣味として“評論”を書く人間と書かれた対象とその対象を消費する人間と評論を政治的に利用する人間はそれぞれ別であり、互いに必ずしも対話が出来ているとは言えないだろう事から生じる不毛な議論」である。エヴァンゲリオンの場合は、確かに「精神世界的」であり、他のアニメと一線を画する面があるが、それで「エヴァ語り」をする人が、「精神的にイレギュラー」な他の事件の当事者と同類かというとそんな単純な事は言えない。無論評論家はそんな事百も承知なので余程危機感を持たない人で無い限り、消費者に責任はないように書くのであるが、その“評論”をいわゆるオタク批判・批評に安易に転用する人がいるのもまた事実である。

*12:アニメや漫画の評論全てがそうとは言わないが、とかくテレビや新聞での「アニメ・マンガ」理解が何周も遅れているので、あえて「アニメ・マンガの評論批判」をしておく。純粋に楽しむ下地があって、そのあと評論が生まれるのが普通だからである。

*13:余談だが私が先に「哲学」にかぶれたのは涼宮ハルヒシリーズである。

*14:仮に平成世代を表象するとしたら、消費の動向から分析した地元志向の「マイルドヤンキー」というのがあるが、これはこれで時と場合によると思う。またあまりにも「若者」自身から反発を招くと気づいたからなのか、最近は殊更若者を不気味に扱うタイプの評論は減った気がする。

*15:流石に「三丁目の夕日」現象には団塊世代的な色合いが濃すぎて反発も大きかったが、「どことなく自由だった」感は団塊世代以外の昭和の人間と話しても受けるので、「昭和的人間」と言えるものも絶対無いわけではないかもしれない。